新・堕落論

2011年11月25日

最近読んだ1冊ですがとても共感できたので是非。

少し書かれていた事を書かせていただきます。

 

コンラッドローレンツという学者の動物行動学論の中で

「幼い時期に肉体的苦痛を味わう事のなかった人間は長じて必ず不幸な人間になる」

 

と書かれ

肉体的苦痛とは暴力という事ではなくあくまでしつけという中での

肉体的制約

大学や高校の体育会と同好会の本質的な相違の問題と言えます。

健全な精神は健全な肉体にやどる。そこで培われた健全な精神こそが

さらに後の人生において衰えた肉体を支えて守るのです。

 

これは大脳生理学での脳幹論の原理であって脳で最重要とされる脳幹は

充実した人生のために不可欠な怒り、悲しみ、恐怖、発奮努力、そしてその結果の

充実感、喚起といった感情の源泉に他なりません。

これらの感情が自然に発露して初めて人間は人間として平衡のとれた

正常な人生を謳歌できますが、現代の若者、特に草食動物化したと

言われる若者たちは文明の便宜が与える過大な情報を無制限に摂取し

その整理や、分析までを情報に頼るという体たらくです。

 

それは決して新の教養とか知識ではあり得ないそうした他律的な情報に

頼り溺れるために青春の特質である思い込みや勘違いでの挫折、失敗を

経験し得ないのです。ということは人生に対するばねを書いて画一的なひ弱な

人間にしかなりえない。

 

調度幹は細いくせに上の茂みの大脳にはやたら情報の実がなりすぎた

リンゴの木のようなもので、少し強い風が吹き付けると茂みの気の実の

重さに耐えかねて幹ごと折れて枯れてしまう木と同じです。

 

つまり「こらえ性」の欠如であって、世間に出ても他社との摩擦、相剋に

見舞われるとそれを跳ね返す強い個性に依る自我が備えられていない

から人生の落後者となる。

 

そうした劣弱な人間をいかに鍛え直し確かな自我を備えさせるかが

問題なのです。

 

 

 

こんな文章が書かれていましてどう感じるかはその人次第ではありますが

私ながら

日本の未来はどうにもならないところまで来ている感じがしています。

 

どううにもならないからあきらめるという事ではないけれど大きなところの話では

全てに対して負けていく日本になっていくしか道がないように感じてしまう。

 

石原都知事は、核を持った方がいい、徴兵的な事もあった方がいいと書かれていますが

私も賛成です。

 

また平和というのは、お互いが均衡がとれているから平和という事であり片方が

弱いという事では平和ではなくただの犬という事になってしまい。下の方は

言われた事を聞いているから平和という事になってしまう。

 

今の中間地点が駄目だとするならば

今の大人はこれからの子供に対して、次の教育をしていかなければならない

のかもしれません。

 

もうそろそろ40になっていく中で私自身も何かできる事を探して行動していきたい

と考えています。

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